コラム│浜田市・石見神楽

❖浜田市について
人として見るのか、組織として見るのか曖昧で、職員全体に公務員連帯感(病)がはびこる。浜田市の未来・発展性を考える主軸が上のクラスのごく一部にしかなく、それ以下は従うのみのカースト制度が仕上がっている。
長く慕う諸先輩方が、晩年になった今、「浜田市はダメだ」とこぼされる話を聞く毎に、自身の晩年はこの思考だけは超えたいと考える。
浜田市は石見の要衝。ここのTOP(市長)選びは非常に困難だ。しかし、どの様な方がなろうが、ここに提言・啓発できるのは地方政治家の特権・役割で、それらを選ぶ市民にも問題がある。なので、これは全員の責任である。これを風土という。
それぞれが頑張っていない訳ではない。一生懸命な事は理解する。
❖石見神楽について
神社に戻すべき。言い間違えていなければ、風紀が乱れている。乱れると価値は下がる。
価値とは何かというと、素朴な里神楽としての価値で、これが崩れた影響は、古くは大阪万博出演や、海外・県外公演、東京・大阪公演などが行われ、そこに行った・行かない、自団体の名前を上げたいなど、神社舞で収まり切らない願望が顕著に表れたものである。特に国立劇場公演以降の地域(市)での対抗具合は、自身には直視しがたい。そこにはしがらみしか生まれない。
平安京を起点し、秦氏により大きく鮮烈に広められた神道・神社の文化、これが壊れようとしている。全国の祭りのみならず、日本の核たる皇室にまで繋がる問題ではなかろうか。
皆頑張っている。ただ、「大切な物差し」を時代が進む毎に、失っていることに気づかなければいけない。
❖この先の時代について
コロナ感染で様々なものが破壊された。おそらく東北大震災で町そのものが消えてしまった、それよりも大きい規模で、全国の日本の経済・文化が60%落ちている状況であれば、これは東北以上の大破壊であり、この手綱は1人1人の人間力でカバーしないといけない。歯を食いしばって。
また、これから先不要になることは辞めていく必要もある。ただし、何を残し何を辞めていくか、そこはセンスであり、未来へ残る人達のためになるものでないといけない。自分本位で考えていっては絶対ならないものだと断定する。